Saturday 31 March 2007

PhD は完走主義のマラソン

Good News が舞い込んだ。指導官RFが現場に復帰してくる。
彼も同じPhD学生。昨年からおかしな雰囲気になり、教職を休み
執筆に専念していた。戻って来たかと思いきや、また休み。
入院したりしていたようだ。精神を病んでいたような時期もあり
先学期はあまり会えなかった。

今日、メールが来た。「HELP」
論文のドキュメントファイルの統合。そしてプリント。
ってことは、いよいよ提出というところまで来たようだ。
急いで、インストラクションをつくって、MS Word での操作法を送る。

月曜日には会えるだろうか。

もう一人のPhD学生の女性にも、先日似たようなヘルプをした。
どうやら「コンピューターのことならKに聞け」ってな感じになってるらしい。
何にしても、他人から重宝がられるのは悪いことではない。
「便利に使われているだけだよ」 それでも良い。

私が個人的にいぶかしく思っているのは、PhD ってのは
頭が良いとか、そんなのとは全然関係のない世界じゃないだろうかってこと。
「総合力」っていうのかな。数年間ひとつのことに没頭できる精神力、
議論を紙面で展開できる知力、地道な世界で耐え抜く体力、
それとテクノロジーを駆使できる応用力。何かにだけ突出している人は
かえってそれがハンデになってしまい、どっかでつまづく人が多い。

特に「自分は優れている」と錯覚している人ほど、この罠に陥って
どツボに嵌り、挫折へのスパイラルに突入してしまう傾向がある。
すぐれた研究内容や成果でなくても、きちんと組み立てて完成できる力があれば
この世界では、いちばんうまくやっていける道みたいだ。

PhD学生が私に Word や Excel や Endnote といった、
博士課程で必要な基本ソフトの使い方を聞いて来るたびに、
なぜ大学に答える人がいないのか、と思う。
いるんだろうけど、なぜ彼らはその人達に聞かないのか。

本当に助ける力のある人が、その存在を知られていない。
そんなことが、かなり世の中にはあるのではなかろうか。
そして、マーケティングの上手な、でもさほど役に立たない人達が
さも助けてあげますよとばかりに、大きな声を張り上げている、って現状。

「マーケティング=宣伝」と勘違いしているやつらのおかげで
迷惑をこうむり、欲しい情報が入手できず右往左往している
困っている人達が、世の中には沢山いる。

昔は「~のことは○○に聞け」ってなことがよくあった。
今は聞いてみると「いや実は知らない」といけしゃあしゃあと答えるヤツが多い。
それでおまえら、よく人から金をもらえるよな。

Friday 30 March 2007

Portfolio

今日は早めにガッコへ。メルボルンへの渡航援助金申請の申請書を提出。
どうか承認されますように。

さて、原稿書き・・・と思いきや、指導官RGが私の部屋に。
うわ、めずらしい。さては何かあったな。
「これ見てごらん」

ログインして見ると、昨年書いた3本の学会論文がウェヴ上に。
(博士課程の学生には「ポートフォリオ」という項目がある)
「実は今日は政府にポートフォリオを提出する締切日だよ」

へ???

「将来は自分でやらなきゃならないから、今から手伝いながら覚えてごらん」

うちの大学は公立なので、政府からの予算で運営されている。
毎年、研究成果を提出することで、学部に与えられる予算が決まる。
各個人がどれだけ貢献したかでその人達の立場やら研究費の割り当てやらも
そのポートフォリオってのを基にして決められる・・・ってなことらしい。

ポートフォリオ作りはめちゃくちゃ面倒くさかった。
そんなことはいい、問題はその作成方法だ。

学内ではすべてオンラインで出来るけど、政府へは印刷物を出す。
紙、紙、紙の山。京都会議出席者が見たら怒り爆発!ってなくらい。
資源の無駄遣いは政府関係者がいちばんやっているような気がする。
これ全部、国民の税金なんだよ・・・。

Saturday 24 March 2007

Confirmation Paper

佳境に入っております。頭痛と下痢を相手に闘ってます。
構成作業から抜け出せず、校正作業に入れません。
同じ音なのに、意味の違いは大き過ぎて ああしんどい。
校正作業までくれば、かなりリラックスできるのですが。

今日は24日なのですね。ってことはあと一週間しかないのか。
マジでやばいぜ。これからガッコに行こうかな。それとも明日やるか。

Logic と Flow を強化しろ、と言われたわけですが、
どう鍛えあげればいいのか正直わかりません。
Logic ってのは、こんなことなのですが。いわゆる屁理屈です。
どうやら私の文は結末に向かって尻つぼみになる傾向があり
「おまえは何が言いたいんじゃぁ」と何度も指導官に注意されます。

言いたいことなんか、ないね。 フッ

という訳には行かないので、適当に書きなぐってます。
そのうちに「これだ!」ってのが出て来ればいいのですが。
(しかも検定前に)

A is always B, B is always C, therefore, C is always A (or vice versa).
いや、そんな上手くいかないのが世の中だって。

Friday 23 March 2007

Business Communication

昨日の講義は、Active Listening についてでした。
講師が毎年、このトピックの回の時はノリノリになります。
ジェスチャーやら声のトーンやら混ぜ合わせて表現するので
毎回大爆笑の渦に巻き込まれます。今年も大盛況でした。
あんたはこれを喋るために存在するんかい、って感じで。

朝の講義の様子はわかりませんでしたが、夜の部では
ものすごい反響でした。ビズコムの核心部に入ってきているので
テクニックやらメソッドやら、やたら沢山出てきます。
教科書上では、理解に面倒くさいことが結構ありますが、
講義に出れば実演つきなので、バッチリ理解できたようです。

Tutorial ではメインイベントの一つである、Johari Window について。
講義から周回遅れで進行していきます。
Joseph さんと Harry さんの合作だから「Johari」。
日本語だと「ジョハリの窓」とでも言うのでしょうか?そのまんま?

セオリー上ではコミュニケーションが効果的に行われると
1番の「Open Area」が大きくなり、4番の「Unknown Area」が小さくなる。
1番のエリアを大きくするには、Communication (Ask + Feedback)と
Self-disclosure + Self discovery (自己探索と自己発見)の二つの手法で
Shared Discovery (相手と自分で発見した情報を共有すること)をします。
現実にはそんなにきれいにセオリー通りに行く訳ないじゃん、ということで
どんな状況下で例外が発生するのかってのを、クラスで議論しました。

昼間のクラスは人生+社会経験のない学生が多いので
ちんぷんかんぷん、のようでした。セオリー通りに展開しないとダメ。
「学校で勉強したことは社会では役に立たない」と言うけど
「どうしたら役立てることが出来るか」を考えるのが君たちの役割だよ。
ただのコミュニケーションではなく「ビジネス・コミュニケーション」だぞ。

もともとやる気がない上に、イチバン眠い2時と3時のクラス。
盛り上がる訳がありません。途中で出て行く学生も。
みんなお金払っているのに、もったいないね。

夜のクラスは社会人学生が多いので「ふーん」「なるほどー」「へー」。
調子に乗って、実際に窓がどう動くかを学生に描かせてみました。
「うひゃぁ、意外と難しいなぁ」 でしょ、言うとやるとでは大違い。

来週からは、学生主体のクラス展開になります。
学生たちがグループを組み、毎週のトピックに沿って
自分達で授業を進めていくのです。私は傍観者となります。
そのグループワークの採点者でもあるのですが。
もちろん、必死でやってくるグループもあれば、
適当かましているグループもあります。

あるグループは「私の助けはいらないよ」と豪語していました。
来週が楽しみです。採点者の意向を聞かずに挑むってのは
プロの意見をを聞かずに自分たちの気持ちだけでサービスをする
接客業に似ています。果たしてクラスの何人がそのトピックを
理解してくれるでしょうか。プロの手助け無しで出来るのなら
それがイチバン良い方法ですが、無料で助けが得られるのに
(実際は授業料という形で支払いをしているのに)
その助けを受けないでやるってのは、興味深いです。

Wednesday 21 March 2007

Literature Review

学会への資金援助申請は却下されました。
自分の勘違いで、「International」ってのは学会の種類ではなく
開催場所のことでした。私の申請したのは、国際学会だけど
メルボルンが開催地なので「National」ということで却下。

もう一つ、学部でも資金が出るようなので、そっちに再挑戦。
明日申請書をつくります。ぜったいに行きたい。

今日は論文書きの日でした。
Literature Review を評価してもらった前半部分が帰ってきました。
ほとんどが英語の間違い直しだったので、気分は複雑。
前半20ページのうち、「Good」というコメントがあったのは
たった 1パラグラフのみでした。ぐっすん。

これじゃ読むのにくたびれただろうな、という印象。
そこら中赤ペンだらけで、昔やっていた「進研ゼミ」のようでした。
ものすごく丁寧に英語の間違いを直してありました。
「でも内容はいいよ」 との労いの言葉をもらい。
「Flow」と「Logic」が今後の焦点となりました。

「これ(学位論文)が終わったら本を出そうね」
「もちろん君が第一著者で、ボクとRFとの共著で」
まだまだ夢はつながってます、と思いたい。

「一つ、挑戦したい雑誌があるのですが」
「ジャッジしてあげるから、情報送ってきなさい」
こちらも頑張りたいところです。

それから、こっそり一人でやっているネタ。
これは形になるまでは誰にも言わないで、出来るだけ自力でやりたい。
投稿の時は指導官RGの力を借りなければダメだろうけど、
何とか第一著者の地位を持ったまま、投稿までこぎつけたい。
このネタは私のライフワークになりそうな気がするから。

とりあえず、構成しなおして、それから校正へ。
決戦日は5月4日。3月中に仕上がるかなぁ。不安。
英語がダメな分、他人よりも早く仕上げないといけないのはつらい。
もっと時間が欲しいなぁ。

Tuesday 20 March 2007

おまえら舐めとんのかコラ

今日は授業の日でした。思わず悪態をついてしまうような出来事が。
先週、クラスで「何をしたいですか」と問いかけて、スケジュールを組んだ。
それに沿ってリーディングに挑戦してきてもらう予定だった。
「読みきらなくてもいいから挑戦して、こっちは準備してくるから」

そして今日。「みんな挑戦してみた?」「しーん・・・」
「どうなってるの?みんなで決めたことなのに?」
(へ、そうだっけか、みたいな顔)
それじゃ、準備した私は何をすればいいの?
「What can I do for you?」

それでも しーん。

「じゃ、そっちが適当ならこっちも適当にやって終わります」
適当に流して20分かそこらで終わりにしてしまった。

自分発で何かをやるってことに、責任が伴うことを多くの人は知らない。
「好きなことをやっていいよ、何がしたいですか」と言って、みんなで決めたこと。
それをやってこないヤツに、こちらからは何もしてあげられない。

黙って何かもらえるってことは、この世の中にはないんだ。
宝くじだって、買わなきゃ当たらない。

Monday 19 March 2007

Why not to publish?

週末はずっと色んなことを考えていました。
いつまでも落ち込んでいてはいられない。
昨日紹介した本は、結構役に立ってます。
「Why not to publish?」の節が特に面白かった。
やっぱり怖がっているんですね。やってもいないくせに。
色々考えるくらいなら、当たって砕けろ!って方がいいみたいです。

「パクりたいヤツにはパクらせておけ」みたいな一文、気に入りました。

冷静になって、原稿を読み返してみました。
なるほど、ものの見事に変わっています。全体の筋は変わってませんが
「うーむ、ネイティヴが本気を出すとこうなるのか」みたいな。
めちゃくちゃアカデミックな文章になっていました。
これは完敗です。自分の名前を残してもらえただけでも有難いです。
これなら、学術雑誌にもっていっても掲載許可が下りそうです。

最終的な感想は、「これが本職の仕事か」

ネイティヴだからという理由は却下します。
英語が第一言語でなくても、すごい記事を書いている人は沢山いるし
ネイティヴのくせにオイオイ、って人も沢山いる。

英語力もそうだけど、文章力の差、かな。
「うわっすげー」って心底からそう思えた。

考え方を改めることにした。
指導官の力を借りないと、世に出られる実力は私にはまだない。
だから、助けてもらってでも、世に出る方法を選ぶことにした。
まだ、ネタが沢山ありますんで、どうぞ使ってくださいませ。

でも、いつかは絶対に自力でやってやる、という気概も持つことにした。
あんな文章がすすっと書けるようになりたい。
そうでなきゃ、本の出版、なんて野望は達成できない。

ちくしょー、いつかは「巨人の肩の上」に乗っかってやる。
(巨人の肩の上に立つ=Google Scholarにある一文)

Sunday 18 March 2007

Why Publish?

昨日からの落ち込みを引きずって。「なぜ学術雑誌等に記事を投稿するのか」
それは、卒業後に大きな差が出るからです。ハクが付くから、とも言える。
ただ学位論文に関わっているだけでも一大事業だけれど、
終わっちまえば「ただの博士」。猫に小判。社会に出る後ろ盾がないっすよ。
年齢が若きゃ、時間を費やしてポスドク(Post Doctoral)への道ってのも
あるだろうが、人生折り返し地点をすぎた私にとっては、後戻りしたり
回り道したりしている余裕がないのですよ。布石打つべし!なのです。

学術雑誌ってのは、投稿してから掲載までに最低半年はかかる。
平均で1年間。ものすごいタイムラグです。ダイヤルアップより遅い。
掲載された頃には、もうそのアイデアが廃れていたりします。
他の人に寸での差で、先を越されたりします。
著作権競争みたいなもんです。パクりパクられ、追い追われ。

昨日のこともあったので、どれだけ自力で出来るか知るために
こんな本を読んでみることにしました。

Day, A. (1996). How to get research published in journals. Brookfield, VA: Gower.

これも約10年前の本なので、まともに受け取っていいかどうか。
何も無いよりはましなので、読んでみることにします。

Saturday 17 March 2007

パクられた?

メルボルンでの学会に投稿した記事。
第一段階の時には私が「第一著者」だった。続いて指導官2名。

ところが。

今日になって、私が「第三著者」として出されていたことが判明。
入れ替わり事件が起こっていたのだった。
頭っから信用していたので、最終ドラフトもチェックしないでいた。

甘かった、か。

なんで、順位を変えたのか。 それはいいとして、
なんで、私が三番なのか。 それもいいとして、
なんで、黙ってやったのか。

「そーいうことする人は言わねーのよ」←彼氏
あなたの言うことはいちいちごもっとも。

別にタカが学会誌だからいいようなものの、学術雑誌だったら
著作権とかの問題ですよ。パクリ。盗作・・・とまではいかないけど。
リサーチ資金欲しかったのかなぁ(第一著者だとお金もらえたりする)。

文句を言いたいとか、そういうんではありません。
元からパクられてもいい、と思ってました。いつかは来るだろうと。
思ったより案外早い時期に来たので、途惑っているだけです。
信用していた人だったので、「ああ、彼もその他大勢の口か」と
個人的評価が低くなっただけです。

「パクられるくらい、いいアイデアだったのかよ」
「お前も人の役に立ったってことじゃん」
「まあ、いい勉強になったな」←彼氏

あなたの言うことは、隅から隅までごもっとも。

Friday 16 March 2007

学会誌の審査

頼まれていた学会誌への投稿記事への審査、今終了しました。 「第一回 Asian-Pacific Operations Management Symposium」という学会です(もう一つの名称は、検索に引っかかるとヤバイので伏せておきます)。 指導官の力を借りて20分くらいで第一段階の評価完了。 すごい、さすが本職(?) それから自分で最終評価をして。 さぁ、結果発表ぉ~(ここでドラム音♪) 

「条件付で掲載許可」を出しました。

本来なら「ボツ」になるようなレベルの物でした。 でも指導官から「初めてだってことで、甘くしておこう」と言われ、上の結果に。 審査は7項目あって、各項目5点満点、総合35点満点です。

(1)ライティングは2点。「タイポエラー」と呼ばれる誤植がいっぱい。 カンマやピリオドが二度連続して打ってあったり、括弧の始まりと終わりが違うものだったり。 (2)文献考察は3点。 (3)メソドロジー(調査方法)も3点。 (4)ディスカッションは書いてなかったので1点(ゼロってのはない)。 (5)「結果」と「CONCLUSION(結末)」の量が余りにも少な過ぎ。1点。 (6)セオリーへの貢献度 その1は(4)と(5)がお粗末なので当然1点。 (7)セオリーへの貢献度 その2は(6)がダメなので連動して1点。

「なんでそれで許可できるわけぇ?」と思った人、君は鋭いよ。 この「条件付許可」ってのは、私が昨年もらった結果なのですが(私のは最低点が「結末」の2点で、あとは3点と4点だった)、全部ちゃんと直さない限り、正式な掲載許可が下りないのですよ。 だから指定された期限までに全部校正できて再提出できれば、本採用ってわけ。 たぶん、今年の私の原稿も、この結果をもらうはず。 名無しのゴンベさんよ、お互いに校正頑張って、発表の場に立とうねぇ!

Monday 12 March 2007

Literature Review

日本語では「文献の考察」とでも言うのでしょうか。Thesis の Chapter 2 に当たる部分です。30ページの下書きを20ページまで減らすべく奮闘中。足りないのを増やすよりは易しいですが、それなりに苦労して書き上げたものを削除して小さくしていくのは勇気が要ります。最終的には15ページに収めようと思っているので、遠まわしな表現を直接的に直すだけでは足りません。1ページに渡る段落を思い切って削除したりもしています。

現在、7ページ分削除完了。

この手法は、彼氏から教わりました。「頭の悪いヤツは、ゴミ文章をを取り除いていくと、核心の部分が何も残らないって結果になることが多い。あるいは、最初の段階で核心の部分が明快でないので、飾りをつけてもっともらしく作り上げたりしている。何でもいいから最初に沢山書いておいて、それを凝縮させていく手法を取れば、全体の文章が一本の筋になる。全体が核心になるんだよ」

なるほど。確かに、中身のないことを話している人ってやたら説明が長すぎて、結論とか主旨がまるで見えない場合が多い。Conclusion を見てみたら、研究結果は有効ではなかった、なんて論文記事が結構あるなぁ。

「全体で30ページまで減らすこと」と指導官から言われている。最初の下書きは約100ページ。3分の1以下まで減らすだから容易ではない。ぎゅっとぎゅうっと、絞って「おから」を作っているみたいだ。いや、「せめて「チーズ」を作ってると言えば聞こえが良いかな?思い切って、どっさり削って一文だけになると、便秘が解消されたような時の気分になるけど、力が抜けたようにもなる。爽快でもあり、空虚でもある。

削った後に何も残らなかったら・・・という、一抹の不安もないではないけど。

Chapter 3 にあたる Methodology の部分は、20ページ中、3ページ分に「チェック」(良い)が付いた。削られて、自分でも削って。Chapter 1 の Introduction も、5ページにわたるセクションを丸ごと切り捨てた。「余計なことを言わない、シンプルでストレートな文章を」という指導官の要望は、実際に応えようとすると、面白くもあり、悲惨でもある。

Friday 9 March 2007

学会誌の審査員

先月、学会誌に記事を投稿したんですが、その審査結果を待っている間に、
その学会から別の投稿記事の審査をしてくれ、と頼まれました。

何かの間違いでは?

メールに返信すると、「学会メンバーだからお願いします」とのこと。
ひぇぇぇ、審査員になっちまった!
自分が審査されている身分で他人の評価をするなんざ、
おこがましいにも程があるってもんだけど、やらなきゃいかんらしい。

いや、まずは指導官に相談しよう(小心者)。

指導官 「いやーすごいね、良かったねー」
きら   「はぁ」
指導官 「アカデミックの世界にまた一歩前進だね」
きら   「へ?」
指導官 「みんなそういう所から上がっていくんだよ」
きら   「でも、私まだ Confirmation 通過してないですが?」
指導官 「あ」  (しばし沈黙)   「ま、いいんだよ」
きら   「そうですか、それでは助けてもらえますか」
指導官 「うんうん、やるやる、やろうやろう」

ということで、審査員を引き受けることに。

快挙だ、そこらにいる人達に言いふらし回る指導官。
どうやら、かなりめでたいことらしい。
Portfolio ってのを作っとけ、と作り方を説明し始めた。
学者になるには、この Portfolio ってのが大事なのだそうだ。

・・・未だに学術雑誌の方は泣かず飛ばずの状態。
本当はこっちを頑張りたいんだけどなぁ。

Thursday 8 March 2007

Business Communication

・・・の初授業でした。今日のテーマは「人と知り合う」。
昔の「ねるとん」みたい。9個の質問を用意して3×3の表に入れ、
その質問に合う内容の人の名前をクラスメイトから探し出し
ビンゴ形式で記入していくものです。
でも時間がたっぷりあったので、9個全部埋めることに
挑戦してもらいました。

その質問の中には
「Have you ever discriminated because of gender?」とか
相手が答えにくいような内容の質問も意図的に入ってます。
その場合、使う言葉を変えて相手に訊ねていいのです。

終わってから。
「どの質問が訊ねにくい/答えにくいと思いましたか?」
ここが今日の授業の焦点でした。
自分では「OK」と思っていることが、相手には不快に取られる。
そんなことが結構あるわけで。それを探っていくのが主旨でした。

「性別/人種/民族/収入/生活レベル」等の分野に関わる
質問内容がやはりセンシティヴ(敏感)になるようです。
それでも尋ね方次第で答えをもらえることも分かりました。
例えば「Where are you from?」と訊ねるより
「アナタのCultural Backgroundは?」と訊ねる方が
答えがもらいやすかったりします。
オーストラリアならでは、という気もします。
こちらでは、永住権は持っているが市民権の無い人は
沢山いますし、容姿が違っても市民権があれば
みんなオーストラリア人です。
西洋人に見えるからオーストラリア人、という定義づけは
相手をかなり不快にさせるようです。

特に単一民族の日本人は、こういうことを知っておくと
外国での仕事の時にかなり役立つのでは、と思います。

Wednesday 7 March 2007

因果な商売

Tutorなんて、カッコ良さ気だが実は労力の多い割には報われない仕事の一つである。時給$60という傍から見れば法外な収入に思われるが、このたった一時間の中には、Preparation が一時間、Delivery で一時間、Consultation で一時間、という「暗黙の了解」が含まれている。つまりは実質$20/時、というわけだ。

ところがこれもまたウソで、実際には授業用の教材の準備はかるく平均3時間を越えてしまう(要領が悪い?放っといてちょーだい)。やる気を出すほど報われないという、因果な商売が「教員」である。好きでなけりゃやってられるかよ、っち。

世の中には、うまい儲け話はないわけで、いかにInput を少なくしてOutput を最大に引き出すかで勝負は決まる。Delivery の時間(実際のTutorial Session)でどれだけガッツリ学生に満足度を与えるか、ってのがミソ。やってないけどやってるように見せるテクが自然と身についてくるってもんだ。いかにも必死でやっているのが表面に出るほど、かっこ悪いものはない。

ご同輩たちの中には、やたらめったら「大変大会」をする人間が多い。「私の方が大変よ」と言われるたびに「一発顔面パンチかましたろか、コイツ」みたいな連中がかなり多い。こういう連中達はみんな「大変な状況にいるのが好きでそうしている」としか思えなくなってきた。言ったとおりに労力をかけているなら、さぞかし素晴らしい内容の授業を毎週やっているのでしょうよ。ふんっ。何の不満があるんすか?

どう見ても要領の悪い気な自分。テキトーにやっているように見られがちな自分。ああっしゃらくせー。やることやってんだから、いいじゃないかようっ。規準より低いレベルでやってるって言うんなら文句も甘んじて受けようでないの。家でコツコツやってるんだってば。人目のつくところでこれ見よがしにやったって給料上がるわけじゃ無し、現場で勝負だよ。

はー、すっきりした。すんません、余りにも頭に来る出来事があったもんでね、つい。

Saturday 3 March 2007

Visual Methods

博士論文とは関係ないけど、いま挑戦しているもの。
いや、もしかしたら使えるかな、というほのかな期待も。

Visual Anthropology から派生したこの研究方法ですが
Ethnography に属するので私の路線とはちと違います。
でも、私のやりたいことに近いような気がする。
「Seeing is Believing」 っていう大義が好きだ。

Ethnography とは調査研究方法(Methodology)の一つ。
メソドロジーとは「どうやって提議された問題に答えるか」という手法。
「Ethno-」は「文化」とか「民族」とかだけど、もっと大きく見て
「グループ」と解していい。「-graphy」は「描写」が近い表現かな?
日本語ではどう表現しているのだろうか。

つまりは、Visual Anthropology は「見た目の人類学」で
写真やイラストを使って、色んな人間の形態を記録し
それをデータとして使い、人種や民族を分けていくというようなもの。
昔は土着民の顔の化粧の違いを記録して分類し
「~族」とかに分けていったりしていた。
「この化粧は~族で、あの化粧は~族」という具合。

Ethnography はそのグループの生活や行動などを
同じように記録するけど、説明のために描写していくもの。
「~族はこういう風に生活している」みたいに。

似たようなので、Ethnomethodology という手法がある。
これは「Ethno-」と「Methodology」が合わさったもの。
グループの方法、方式を研究するもの。
「~族は~というように化粧の意味を理解している」
というように、グループがどうやってある物事を理解するかという
その理解方法を理解していくための研究。

もう一つ、Visual Sociology (見た目の社会学)ってのがある。
こちらは人を含めた「社会全体」の研究分野。
こっちはまだ上手く理解できない。ただいま勉強中。
全部に共通することは、「Visual Methods」を使うこと。
一般的にはObservation をして、Field Note を使って記録し、
あるいは会話を記録しそれを分析するのだけれど、
(CA=Conversation Analysis)
使うMethodologyの路線が違えばもちろん結果も違うわけで
それを決めるのはResearch Question なわけで。

そして、そのResearch Question がまだかなり曖昧なわけで。

ここで打ちひしがれている自分。うぃー。

Friday 2 March 2007

多国籍文化

私の新しいハウスメイトはフィジー人とイラン人です。
今日イラン人が引っ越してきました。

フィジー人はインド系で、グリフィス大学の薬学部の学生です。イラン人はペルシャかアラブ系で、グリフィス・インスティチュート・フォー・グリコミックス(Griffith Institute for Glycomics)という研究機関の研究員です。そう!あの「グリコ」のグリコミックスです。そうは言っても何のことだか私にもイマイチわかりません。

なんでも、ガン、免疫障害、脳障害に効く薬を開発している、最先端の研究分野なんだそうです。すげえ人が来ちゃったなぁ。私なんて研究員どころか、助手にもなってない、発展途上の(しかももう終わってると言ってもいい)研究学生ですよ。いや、頭が下がります。

ハウスメイトがヒンドゥー(フィジー)とムスラム(イラン)ということで、牛肉と豚肉は食えなくなりそうです。ああ、すき焼き、トンカツ、しゃぶしゃぶ、うぅぅぅー  こんなことなら思いっきり食っておくべきだった。いや、ハウスメイトを追い出してでも食うぞ、ここを仕切っているのはこの私だぁー!

Thursday 1 March 2007

オトナって怖い…?

グリフィス大学のゴールドコーストキャンパスでの、ビジネス・コミュニケーション(ビズコム)の講義は人数が多いので、講義は昼と夜の二部構成。来週から始まるTutorialsでは、私は2時、3時、8時、の3クラスを受け持っています。ご想像通り、先の2クラスは昼の部から来る学生が多く、8時のクラスは夜の部から来る学生が殆ど。今日、夜の部に出てみたら、オトナがいっぱい!

きゃー

うちの大学ではごく当たり前のことですが、会社へ行きながら大学に来ている人は沢山います。特に経営学部ではそうです。だから講義を含めた授業は、朝早くとか、ランチタイムとか、夜5時以降、という時間割に組まれていることが多いです。フレックスシステムを使って大学で勉強できるわけです。日本のように夜間部としてはっきり分けていません。

これが「きゃー」ではなくて。

当然、上のようなシステムですから、オトナも沢山来ています。夜の部に来ている学生は30歳後半から上は50歳くらいが多いです。私が学士にいた時は60歳過ぎの人とグループを組んだこともあります。赤ちゃんや子供連れで来る人もいるし、乳母車もキャンパスでよく見られます。そうそう、車椅子だって普通だし、身体障害の場合はほとんど健常者と同じ扱いです。教えるほうも容赦しないことになってます。

あ、これも「きゃー」ではない。

ビビっている理由は彼らの私に対するリアクション。私の容姿はかなり幼く見られます。そのため毎学期、私に対する彼らの第一印象は「どぇぇ、コイツに教わるのかよ」となります。これがこの夜の部ではものすごかった。肌に刺さる視線。対抗心の空気漂う。「隙あらば食ってかかってやる」の意識丸見え。それが、

きゃー

なのです。いやー怖かったの何のって。
いくらAUSの失業率が5%を切ったからと言って、まだまだホワイトカラーの仕事はステイタスそのもの。もう、ふんぞりかえって威張って講義を聴いている人もいるし、電子機器(パワーの象徴)を見せびらかし、黒いバインダー(知性アピールの象徴)を見せびらかし、会社のかっこいいボールペンでノートを取り、ネクタイに手をしょっちゅうやったり(権威アピールの象徴)、そりゃもう色々なボディ・ランゲージでせまってくるわけですよ。

ワタシ、この人達に「教える」立場をやらなきゃいかんのですよ。既に第一印象の時点で完全に舐められてますよ。彼らのかけてくる無言の圧力ってのはスゴイですよ。会社で疲れてきてるはずなのに、どこにそのパワーを隠してたんだかって感じ。自分より弱い者を見たらいつでも襲い掛かってやるぞ、みたいな。

まあ、実を言うとですね、最初にこういう態度をあからさまに出してくれる方が、こちらとしてはやりやすいんですけどね。え、なんでかって?それを今言っちゃうと、ビズコムの13週間をいきなり最終回に持っていってしまうので、今は内緒。

BusCom Lecture 1

ビジネス・コミュニケーション(通称ビズコム)の第1回目の講義でした。
Tutorial は来週からなので(講義の後追い形式)、今日は顔見せってことでの参加。教科書が新しくなったこともあり、自分の知識のおさらいのために、ってのが本音。教えるほうが「わかりません」じゃ話にならんもんね。

名前は「Business Communication」ですが、中身は「Interpersonal Skills」というこの科目。教科書もその題名です。ビジネスレターの書き方なんぞを勉強したいと期待していたアナタ、残念でした。この科目は侮れませんよ。後ろを振り返ると(Tutor はいざという時に講義のアシストをするので最前列に座っている)ビビり顔の学生が多数。大丈夫ですよ、期末試験は Multiple Choice と Short Answer だけですから(本校のバカ教授が決めた)。

それを聞いてほっとしたのもつかの間、なぜ選択問題が悪いのかを説明されて、理解した学生たちは怒り心頭。文句は本校のバカ教授に言ってね。学期末の評価表に文句書く欄があるからね。

講師が説明したのはこう。「選択問題は考えなくて良い。ただInputしてそのままOutputするだけ。Processが要らない。大学は『考える力』を養う所でありながら、その力を試す機会が試験から外された(以前は小論文問題だった)。君たちには可哀相だが私たちは本校の意向に従わなければならない」

毎学期の終わりに、各学生が各科目への評価表を送ることになっているのです。学生の不満を一気にぶちまけることの出来る場であります。ビジネス・ファイナンスの科目で不興をかった講師がクビにされた過去もあります。学生はお客様ですから。お客様のフィードバックの力はデカイのです。

何はともあれ、授業スタート。第1回は「自己を知る」という導入部分です。「己を知らんで他人の理解が出来ようか」なのですが、「自己を知る」というのは非常に難しいものです。でもマネージャーはこの力を持っていないとやっていけない。とっても大事なことです。「どうすれば自己を知ることができるか」って言うのは、みんな授業料を払って聴きに来てくれているので、ここでは触れないことにします。

それから、「ソクラテス・メソッド」についての説明を受けました。最終的にはこんなような手法が使える、「Facilitator」「Negotiator」「Leader」「Coarch」「Advisor」「Consultant」と呼ばれる人達の持つ手法を理論(調査研究から出た事実)とリンクさせて知る、というのがゴールです。使えるようになるかどうかはこっちの知ったことではありません。各個人の技量次第ですから。大学では「What(それは何か)」、「Why(それはなぜ必要/重要か)」、「How(それはどう使うのか)」ということを教え、「When, Where, To Whom」などなど、使い道は各学生が考えます。「Application」と呼ばれるものです。これがどのくらい出来るのかを大学では評価して成績として出すのです。もちろん完璧に出来るわけはありません。だから「どのくらい使い道を考えたか」が実際には評価されます。実際に使うのは卒業してからですし。

というわけで、いきなり飛び出した「ソクラテス・メソッド」。今学期の終わりまでに学生たちに使えるようになってもらわなければなりません。そうなるような Tutorial の授業内容を組まねばなりません。こりゃエライこっちゃ。ググったりヤフったり、教材づくりに大忙しです。まあ、10週目以降になるでしょうから、それまでにこっちが追いついていれば大丈夫でしょう。Tutor が出来るようになっている必要はありません。サッカーのコーチが現役のストライカーと同じ役割を担う必要はないわけで。私の役目は、彼らがコーチの立場になる時に、コーチになれる最低限の技量が持てるよう導いていくだけですから。

来週は「Self-Awareness」について、詳しい内容に入っていくそうです。